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ケーススタディ

疾病のインパクト


マルセラとベアトリスには、一見して共通点はほとんどありません。マルセラは裕福な家庭に生まれ、欧州で最もレベルの高いいくつかの学校で十分な教育を受け、現在はスペインのバロセロナに住む企業幹部として働いています。一方、ベアトリス一家は、ボリビアの田舎のグアラニ民族に属します。ベアトリスは10代の頃に人身売買され、田舎の家を離れて家庭内労働を強いられました。ベアトリスは今、コチャバンバのはずれのスラムに住んでいます。コチャバンバは経済発展が非常に遅れた地域で、水はいまだに汲みに出かけて手で運び、電気はなく、住居は泥壁の質素な小屋です。

マルセラとベアトリスはともに第一子を妊娠中で、気付かないうちにシャーガス病の原因となるクルーズトリパノソーマ(T. cruzi)という寄生虫に感染していました。母親の感染によって胎児の健康が脅かされます。シャーガス病は、この病気を最初に報告したブラジル人医師カルロス・シャーガスにより命名されました。Kissing Bug(キスする虫)の異名をもつサシガメという昆虫に刺されて広がる病気で、ラテンアメリカ諸国における風土病です。母親から寄生虫に感染した66人の乳児を追跡した研究によると、2歳以上まで生存できたのは半数以下でした1

ベアトリスは、寄生虫を運ぶサシガメが彼女の唇を刺したときに感染しました。多くの感染者たちの場合と同様、ベアトリスには急性症状が現れませんでした。しかし、最初の感染から10年から20年後に、徐々に心臓病、食道および結腸の拡張、または神経疾患が進行する可能性があります2。この病気は診断されないことが多く、彼女は胎児に感染させてしまうおそれがあり、献血により他の人を感染させてしまう可能性もあります。
_image_ Photo Credit: DNDi シャーガス病は近年、世界的に重要な公衆衛生上の課題となっています。内臓リーシュマニア症も同様です。内臓リーシュマニア症も、シャーガス病と同様に、顧みられない熱帯病で、昆虫(サシチョウバエ)に刺されることにより感染します。卵が成長するために血液を必要とするメスのサシチョウバエは、リーシュマニアという寄生虫に感染したヒトを吸血することにより感染し、その後、感染していないヒトを吸血するときにこの寄生虫を伝達します。内臓リーシュマニア症は、不定期な発熱、体重減少、脾臓および肝臓の肥大、貧血などを引き起こします。内臓リーシュマニア症は、治療せずに放置すると、感染から2年以内に死亡します 8

内臓リーシュマニア症は、特に、人口密度の高い貧困地域で流行しています。公衆衛生が劣悪なため、サシチョウバエに繁殖場所を提供することになり、家の構造が貧弱なため、容易にサシチョウバエが侵入します。毎年、新たに推定300,000人が内臓リーシュマニア症に感染しており、その大半はバングラデシュ、ブラジル、エチオピア、インド、南スーダンおよびスーダンの6ヵ国で発生しています。毎年20,000人が内臓リーシュマニア症により死亡し、推定3億1,000万人がこの病気にかかるリスクにさらされています9

両疾患によって、発生地域では壊滅的な経済的損害を被っています。例えば、シャーガス病に係わるコストは、世界全体で推定年間約70億ドルにのぼります10。このコスト負担の大部分は、労働生産性の低下に起因します。グローバリーゼーションによって、ラテンアメリカとそれ以外の地域との間で人の移動が増え、この病気の拡散を加速し、経済的インパクトを拡大させているのです。内臓リーシュマニア症の場合、インドの最頻発地域のひとつを分析した最近の研究によると、この病気の治療のために個人所得の7ヵ月分が費やされています。このコミュニティでは、病気による経済的負担をまかなうため、87%の世帯が借金を余儀なくされました。この事実は、この病気がいかに貧困を増大させ、社会を衰退させるかを物語っています11

現在選択できる治療法


_image_ Photo Credit: DNDi シャーガス病と内臓リーシュマニア症の類似点は、伝達のされ方だけではありません。両疾患とも、現在選択できる治療法はいずれも高額で効果が低く、深刻な副作用を引き起こすため、治療は困難です。現在の内臓リーシュマニア症治療は毒性の副作用が多くみられ、メリットは限定的です。目下最良の治療法と考えられているアムホテリシンBリポソーム製剤は、効果的ではありますが、極めて高価です(治療1回ごとに126ドルから252ドル)。さらにこの製剤は内臓リーシュマニア症発生地域の高温環境下では安定せず、また痛みを伴う注射用製剤であるため、患者の治療へのアクセスもアドヒアランスも不十分です。

シャーガス病の治療選択肢は、さらに限定されています。唯一認められている治療法はニフルチモックスとベンズニダゾールだけです。どちらの薬も、感染後すぐに投与すれば有効です。しかし病気が急性期から慢性期に進行するに従って、これらの薬剤の効能は著しく低下します。ところが感染した患者の大部分は病気の初期段階では症状を示さないため、薬剤の有効性は限定的です。これらの薬剤には副作用もあり、そのため30%以上の患者が治療を途中でやめてしまうのです12。さらにこれらの薬剤による治療は、長期間の投与が必要であり、患者のアドヒアランスはよくありません。

新薬開発パートナーシップ


シャーガス病と内臓リーシュマニア症に対する効果的な治療法の発見に積極的に取り組むため、GHIT Fundは、製薬会社3社、エーザイ株式会社、塩野義製薬株式会社および武田薬品工業株式会社の製薬会社3社とDNDi(Drugs for Neglected Diseases initiative:顧みられない病気のための新薬開発イニシアティブ)との間のパートナーシップ「Drug Booster Consortium」に対して投資を行っています。このパートナーシップは、GHIT Fundのヒット・トゥ・リード・プログラムにおいて研究開発が行われるもので、化合物の迅速なスクリーニングを行うことにより、治療に最も有望な化合物を見出すことを目的としています。このパートナーシップでは、2年以内に各疾患あたり少なくとも4つの薬物候補を特定することが期待されています。製薬企業が保有するヒット化合物から少なくとも各疾患につき1つのリード化合物が見つかる可能性が高いとみられており、その後、リード化合物の安全性および有効性に関する詳細な研究へと進んでいきます。パートナーシップはまだ初期段階ですが、GHIT Fundとその製品開発パートナーは、シャーガス病と内臓リーシュマニア症の薬を安価に届けられるかを、既に検討しています。考慮すべきいくつかの点として、以下を挙げることができます。
  • 試験 – シャーガス病と内臓リーシュマニア症の新薬候補が、現在利用できる介入策よりも安全で有効であることを確認するために、十分な臨床試験を行う必要があります。これらの治療法を実現するためには、開発プロセスそのものも費用対効果が高く、効率的でなければなりません。HTLPにおいて評価を受ける化合物の多くは、その特性が十分に明らかにされているものであるため、製品開発パートナーは、新薬開発のために必要な全体のコストと時間を削減することができます。
  • コスト – シャーガス病と内臓リーシュマニア症が流行している地域は、ほとんどの場合、最貧困地域であるため、健康および経済的インパクトを低減させるためには、患者が購入可能な価格の治療薬でなければなりません。
  • 安定性 – 新しい治療法には、病気の流行地における極度の高温多湿環境に耐えられるだけの安定性が必要です。それが難しい場合には、製品統合性(プロダクト・インテグリティ)と患者のアクセスを確保するために、費用効率のよい輸送手段や保存方法を考案しなければなりません。
  • 投薬 – 患者のアドヒアランスを最大限に確保するためには、治療薬は経口投与が可能で、できるだけ少ない投与回数で効果の出るものが望まれます。
このような革新的なパートナーシップには、患者の体力を著しく消耗させるこれらの疾患をより効果的に管理する新しい薬剤を開発する大きな可能性が見込まれます。